介護ストーリーは突然に

突然介護をしなくてはならなくなった中年男性の日記です

危険信号再び

カテーテルの手術をする予定だったじじですが、予定日近くになった数日後に病院から電話があり、体の調子が思わしくなくどうやら肺炎気味になっているとのこと。

 

意識もあまりなく、最悪の場合肺炎でも命の危険があるとのこと。

 

ここに来てまた危険信号再び点灯です。

 

でも、自分にできることなんてあるわけでもなく、とにかく容態が元に戻るのを祈るかしかなかった。

3日ほどして、病院から電話がありどうにか容態が戻ったとのことで、また一安心。

 

しかし、今の状態でカテーテル手術とはいえ、体に負担のかかる手術をするわけにもいかずに、手術は数週間後に延期となりました。

 

病院には、元気になるまでは面会にも行けないと言われ、この時期はひたすら病院からの連絡を待つばかりでした。

待たされる方は辛いですよね。

 

そんなこんなで、手術の日を迎えることになるのでした。

ぼーっとしてる

3/7

 

意識を取り戻してから数日、病院からは様態が急変した時は連絡をもらうようになっているが、連絡がないということは安定してるのだろう。

そう思い、ここ数日を過ごした。

 

この日は面会の許可が出たので、また父の姿を見に行くことに。

 

緊急治療室から一般病棟に移った父は沢山の管が通されているものの、目を覚ましていた。でも、この日はいくら話かけても反応がなくぼーっとしてる事が多かった。

自分が今どういう状況かを把握していないみたいだ。

 

小学生の息子(父にとっては孫)は病院の規則で面会がずっとできていなかったので、目を覚ましたじじの姿を見せてあげようと、スマホで動画を撮ってあげた。

でも、笑顔もなくやっぱりぼーっとしてる。

医者曰くやはり高次脳機能障害の症状が出ているよう。

 

高次脳機能障害。今回の事をきっかけにめちゃくちゃ調べました。

簡単にいうと、高次脳機能障害脳卒中などの病気や交通事故などで脳の一部を損傷したために、思考・記憶・行為・言語・注意などの脳機能の一部に障害が起きた状態をいいうのですが、父の場合は心肺停止が一時間も起こった事によって、脳に血が回らず脳の一部が脳梗塞になりダメージを負っている状態で、特に記憶障害が強いとのこと。

 

医者からは近日カテーテル手術をすると言われました。

心肺停止に至った心臓の二箇所の細い血管を拡張しないと、また心臓が止まる可能性が高いということで、手術の同意書を書きました。

 

帰りまでぼーっとしてる父に手を振り、病院をあとにしました。

奇蹟が起きた

3/3

 

病院から電話があった。

ここ数日間病院からの着信がなるととても胸がざわつき臆病になっている自分がいると感じる。

生死を彷徨っている人の家族、連絡を待つ家族、みなこういう気持ちでいるんだろうな。

 

不安な気持ちのまま電話に出ると

「お父様は意識を取り戻しました」との朗報が!

ここ数日の不安で澱んだ闇のような心に一筋の光が差し込んだような気持ちになり、私は病院へ飛んでいきました。

 

緊急治療室に入ると、父は目を覚ましていた。

声をかけると反応をし、こちらを目で認識して追いかけている。

経口挿管は自発呼吸が戻ったことにより外されているが、挿管時に声帯のダメージがあり、声は出ないもよう。それでも、自分はたくさん話しかけた。

笑顔を見せたり、悲しい顔を見せたり、感情も表現できる。

何か言いたそうにしているが、声がしゃがれすぎていて、何を伝えたいのか読み取れず、口元まで耳を寄せてみると、父が第一声発したのは「今何時だ?」だった。

ここ数日ずっと緊張してカチカチになった感情がこの一言でほぐれた。

「心配かけやがって」と涙を流しながら、自分の顔から笑みが溢れるのを感じた。

 

奇蹟が起きた

 

もう意識が戻らないと覚悟していたのでこの時は本当にそう思いました。

戻ってきてくれて有難う。

変える前にそう父に伝えて、笑顔を見たあとに心が少し軽くなった状態で病院をあとにしました。

 

 

目を覚ましたが意識はなく

3/1

 

病院から連絡があり、父が目を覚ましたと連絡があった。

すぐに病院に駆けつけ医師から説明を受けた。

 

目を覚ました、といっても意識が戻ったわけではなく文字通り目が開いただけで、視点が定まらない状態。

グルグルと目ん玉が定まらず、開いたと思ったら目をつむりの繰り返しをしていた。

こちらの問いかけには反応は見られず、脳梗塞のダメージが強いらしい。

 

自発的な呼吸はまだできずに口には呼吸器の挿管をしたまま、いわゆる経口挿管というものである。

あとでわかったことだけど、挿管には二種類あって口から挿管をする気管挿管と、喉を切開する経気管挿管というものがあって、父は口から挿管をする方法で酸素を送り込んでいました。

経口挿管は喉を切開しなくていい反面、パイプで声帯を圧迫するために喉が一時的に傷がつくらしい。

 

心臓は今の所発作は起きておらず、安定はしているとのこと。薬で反応を抑えてる部分も大きいのだろう。

 

目を覚ましたのは大きな一歩ではあるが、同時にこの意識が戻らない状態はいつまで続くのかという不安も大きかった。

そんな気持ちのまま、病院をあとにした。

自分にできることは何も無いのだから。。。

そこに命はあるのに

2/28

 

眠れない夜があけて三日目の朝。

今日は決断をしなくてはいけない時だった。

 

今の父の状態は生かされているだけ。

人工呼吸を外せば、自分の力では呼吸もままならない状態。

脳は心臓停止の影響で脳梗塞が起き、確実に障害は残りこの先目覚める確率は低い。

 

家族で決断したのは「延命はしない」だった。

心肺停止により弱りきった心臓は、次に発作が起きた時には耐えられないらしく、もしそうなった時は積極的な処置はしない、そう決めた。

 

みんなで決めた。でも、罪悪感がいっぱいだった。

眼の前の父はまだいきていて、そこに命はあるのに。

 

私は最後の面会になるかもしれない集中治療室でいたたまれなくなり、逃げ出すように外へ出て嗚咽をし声を上げて泣いた。

 

「誰も悪くない、仕方ない」と頭ではわかっていても、自分たちが決めたことは間違いじゃなかったのか、罪の意識を感じながら病院をあとにしました。

今思い返せば最悪な気分でした。

延命の選択

 

2023/2/27

 

突然の心肺停止の知らせから一日たった。

ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまったが、今日は昼ころに病院から連絡が入った。高まる心臓の鼓動を抑えきれず電話に出ると、すぐに病院へ来てほしいとあり病院へ向かった。

 

医師

「意識はまだ戻りませんが、目が開きました。自発呼吸を取り戻しつつあります。たまに目を開いたり、口を動かすような反応をしますが、意思疎通はできません」

 

そして、この日は延命の選択を迫られることとなった。

今は薬を投与し、人工呼吸器で命をつないでいる状態ですが、いつまた心臓が止まるか予断を許さない状況で、この状態のまま72時間経過をした状態になると、医学的には助かる確率がぐっと下がるとのことで、今後の選択を決めてくださいとの事でした。

 

涙が止まらなかった。

 

何もどうすることもできないまま、家族で今後の事を話しあうことになった。

一日話しても結論は出ることはなかった。

 

こうして、二日目も過ぎていくのでした。

 

介護は突然に

2023/2/26のお昼ごろ

 

それは一本の知らせから始まりました。

 

警察の方

「ご家族の方ですか?じじ(以後、父の仮名とします)さんが突然心肺停止で倒れまして病院に搬送をされました。至急こちらに来て頂けますか?」

 

「は?え?どういう?え?」

といった感じで状況が読み込めないまま、私は電話を切り病院へ向かいました。

 

何が何だかわからない気持ちのまま病院へ向かうと、まず警察の方から事情聴取というかお話聞いたのですが

 

警察の方

「お父様は街中で突然意識を失い倒れまして、心肺停止をしたそうです。幸い人が多かった場所のために救急車の通報をすぐ頂きました。現在緊急治療を受けています」

ここで、私は父の生年月日や個人的な情報を聞かれ応えました。

答えながらも心臓はバクバクしてて、その時に何を話したかよく覚えていません。

 

病院へ運ばれてから1時間ほどで、救急治療が終わったとのことで医師の方から説明がありました。

 

医師

「お父様は心肺停止からおよそ1時間心臓が止まってましたが、現在は心臓は動き出しています。しかし、心肺停止の時間が長すぎた為に後遺症が出る可能性が大きいです。後遺症に関しては今の所どのくらいの影響があるのかは判断できません」

 

その時私は父の命が助かった事に安堵をし、そして後遺症が出るという事に強く不安を感じました。蘇生後脳症という言葉もその後ネットで調べて知ったのですが、蘇生後脳症心停止により脳への酸素供給が途絶えると,意識は数秒以内に消失し,3‐5分以上の心停止では,仮に自己心拍が再開しても脳障害(蘇生後脳症)を生じる。

心肺停止をして再び心臓が動くまでの時間は5分が限度。それ以上の時間がかかった場合は目を覚まさないことも多い。と知り、その日は何がなんだかわからないまま一日が終わりました。